晴れて東大のComputer Science専攻の修士課程を卒業することとなった。
修士課程の備忘録としてこのブログを書いておく。どういう時期にどういうことを思ってどういう選択をしたのか。修士に入るときはこんな結末になるとは思ってなかったし、そもそも東大の修士課程を修了することは目指していなかった。
そんな僕が東大の修士を結局卒業する運びとなった。人生何が起こるか本当にわからないが、総じて良い2年間だった。
感謝の気持ち
まずこれを記さなくては他のことは語れない。そう思うほどに、自分はたくさんの人様のご厚意のもとで2年間を生きていた。自分がこんなにも自由な2年間を謳歌できたのは、紛れもなく、指導教員、会社のmanager, co-worker、そしてパートナーをはじめとした他者のおかげである。お世話になった方々には、感謝してもしきれないほどの感謝をしている。
本当にありがとうございました。
時系列順の出来事
書きやすいので、時系列順に駄文を綴っていく。
M1 4月〜7月
入学しといて何だという話ではあるが、この頃は、M2の夏に海外大学院のPhD過程に進学しようと考えていた。そのために、いち早く自分の分野での論文を一本出すことに注力しようと思っていた。卒業するつもりも別になかったので、授業なんて取らなくて良いと思っていた。なので、みんなより少し少なく授業を取った。(この選択が後に裏目に出るとはしらず)
修士に入って数ヶ月、無事に国際会議に論文が通ったので、夏に企業でのインターンをしようと思った。海外大学院の出願が12月ごろ、それまでに論文をもう一本出すのは(accept通知までもらうのは)厳しい。夏のインターンで履歴書に書ける経歴を積む作業をするのが効率が良いと考えた。
PhD進学を見据えて、リサーチ系のインターンを探していたのだが、covidによって海外への渡航が厳しいという状況も相まって、なかなか(海外にも名の通る企業での)リサーチ職でのインターン先の候補が見つからなかった。ほとんどの企業が日本からの学生を受け入れていなかった。悲しい。海外大学の研究室でのリモートインターンも考えていたが、コンタクトを取ろうとしても全然返信が返ってこなかった。かなり時間をかけて作成した文章をスルーされる経験はなかなかに応えたが、人生そんなもんかなぁと思っていた。
そんな中で話した一人の企業のリクルーター(正確にはリクルーターではないが)の人に、ソフトウェアエンジニアのインターンをしてみたら良いのでは?という話を受けた。確かに、開発経験がある学生とない学生であれば前者の方が欲しいと思うし、アメリカの名の通った企業で働いていることは英語力の証明にもなるし信用にもなる。また、別に研究職だけに興味があるのではなく、ソフトウェアエンジニアのキャリアに興味もあった。受けてみるだけ受けてみようと思い、応募したらまさかの受かった。そんな感じでM1の春は終了した。
当時のブログ: 大学院の1S
M1 8月〜9月
8月1日からソフトウェアエンジニアのインターンを始めた。楽しくて楽しくてたまらなかった。4年生の春から1年半の間、本当に人と関わらない生活をしていたので、ミーティングとはいえ毎日誰かと喋れるだけでメンタルヘルスがグッと向上した。インターンをする中でこの会社で(というよりこのチームで)働きたいと思ったのもあって、フルタイムに応募する機会がないか話してみると、ポジションが空いていたので応募させてもらった。そして10月からフルタイム(正社員)として働く権利を得ることができた。
その話と同時並行で、海外大学院への出願関連で動きがあった。少し時は遡り、7月に東工大の研究室と交流会があり、その中で自分の研究の発表を行った。その時に、海外大の先生誰かと繋げて欲しいと言うと、本当に繋げてくれたのである。レジュメと研究計画的な内容を添付して、先生に送信してもらい、幸運なことに返信が返ってきて、8月下旬にMITの教授とミーティングをした。10月からインターンに来ても良いよという返事をいただくことができた。
10月からフルタイムで働くか、MITでのインターンをするか、東大の学生を続けるかの選択をしなければならなかった。結局、10月からフルタイムで働くことを選んで、東大の学生は続けれたら続けようと思った。この選択は難しかった。正直どれか一つを選ぶことになると思っていたが、二つを選ぶことができたのは、周りの人の理解や配慮があってのことであったので、非常に非常に感謝している。
M1 10月〜12月
さて、正社員として働き始めてからは仕事により責任感を感じるようになった。また、最初の印象が大事なので、最初に悪印象を与えないように気を配って仕事をしていた。この頃は覚えなければならないこともたくさんあって仕事がかなり大変だった。
10月〜12月は海外大学院の出願の時期でもある。海外大学院の出願にあたってメンターをしてくださっていた先輩方と相談をして、自分が受かって、今の環境を辞めて行きたいと思う可能性のある学校、UC BerkeleyとMITにだけに出願してみることにした。受かった後にどうするかは受かってから考えようと思った。
正社員としての仕事、海外大学院への出願の二つで生活が圧迫されていたのにも関わらず、この頃はなんだかんだ授業もたくさん取っていた。今思うとかなりの量のタスクをこなしていたな。この頃の自分には驚かされる。
当時のブログ: 2021年後半戦
M1 1月〜3月
この辺りは仕事に徐々に慣れ始め、海外大関連の諸々の諸作業が終了し、少し生活の負担が軽くなっていた。この頃に関わった仕事はスケールの大きいもので、社会人一年目にこの仕事に関われたことはかなり運がよかったと思う。
結局海外大学院の入試結果は、MITがwaitlist(補欠合格)、UC Berkeleyが不合格だった。
補欠合格が回ってきたことは鮮明に覚えている。深夜に届いた一通のメールを何度も読み直して(なんならわざわざ平易な英語をDeepLに入れて)あっているか確認をした。結局3月末に結果が出て、補欠は周ってこなかった。結局自分の意志の強さの問題だった気がしている。
結果を受けて、東大を卒業する方向へと舵を切った。これには色々理由があるのだが、ここに書くには長すぎる。
当時のブログ: 社会人修士学生の日常 第4弾
M2 4月〜6月
海外大学院関連の諸作業も終了したので、そろそろ修士課程の研究テーマを決めてしまうかと考えた。同時に研究への焦りを覚え始めたのもこの頃である。結局この頃に決めた分野、Bit Sparsity Deep Learning Acceleratorで修論を書いた。この分野が、自分が興味を持っていて大事だと思っている分野であることを、この時期に言語化して理解したからこそ、このテーマで続いたのかなぁと思う。悩んでいた時のブログ。
5月はGWを含め、かなり先行研究の実装を行なっていた。ここで実装したコードの一部は修論のコードの一部となった。この時期に書いていたコードがあったからこそ、秋冬にだいぶ素早く実験を回すことができた。
6月は土曜日が全部授業で埋まってしまうというとんでもない一ヶ月だった。一日中カメラをONにして拘束される授業だったので、ただしんどかった。
振り返るとこの時期は、修論提出まで時間があるというのに、学校のことによく時間を費やしていた。
M2 7月〜9月
7月にプライベートで母校の高校で1時間弱の講演を行った。この出来事はかなり鮮明に覚えていて、自分の年齢を感じるとともに、たくさんの青葉たちから刺激を受け取った。
仕事では、サマーインターンシップのメンターをしたり、会社のハッカソンに出てみたりとたくさんのイベントごとに参加した。人を率いたり指導したりするということに対してかなりたくさんの学びがあった。部活などで人を率いる時とはまた違った難しさを感じた。
研究の方は、修士中間発表があり、それに向けて人に説明できる研究のアイデアを作る作業をしていた。自分の当時の研究進捗では発表がきちんとできる状態ではなかったので、中間発表をするために、局所最適解で一旦発表して、結局その後にその穴から抜け出るということを行うことになった。これはあまり良くなかった。
M2 10月〜12月
この頃は本当に本腰を入れて研究していたと思う。オフィスで仕事が終わった後かなり頭を悩ませながら新規性が出るアイデアを考える作業を行っていた。アイデアが降ってくる時は本当に天から降りてくるもので、ふとした瞬間に降りてきた案で修論を書いた。
ホワイトボードやiPadにひたすら思考を殴り書きし、常にiphoneのメモには気づいたことをメモっていた。こうすれば良いのではないか?こうすればどうなるか?とひたすら自問自答し、考えを深めていた。ここまで真剣に考えれば狩り尽くされたように思える分野でもアイデアが出てくるんだということを学んだ。
アイデアが固まってからは実装と評価をひたすら行っていた。執筆の時間がこれくらい取れそうだなという目処が見えてからはかなり余裕を持って生活をすることができるようになった。
M2 1月
修論の執筆作業と発表を行った。
M2 2〜3月
この頃は大学院のタスクもほぼ終了して、本当に普通の会社員として過ごしていた。
仕事一本という観点で考えると、かなりコンフォートゾーンにいたので、自分のコンフォートゾーンから抜け出すために、scrum teamを二つ所属することにした。簡単にいうと、二つのプロダクトを開発している。
大学院関連の出来事で言うと、最後の成績発表があって、成績は優を並べることができた。大学院の業績は研究であって成績なんて誰もみないので別に関係ないとは思うが、形上だけでも成績がきちんと取れて良かった。
これから
4月からは学生という身分がなくなり、普通のサラリーマンとなる。1年半社会人をして、このまま流れに流されていると気付けば数年が経っていそうだと感じている。それが世の理かもしれないが、個人的にはこのまま流れに身をまかせて生きることにまだ抗いたいと思っている。
抗いの一つとして、最近は会社の普段の活動以外でも何か社会にとって価値のあることはできないかと考えている。考えていて手を打ち始めていることもあるのだが、軌道に乗るまでは公の場で語るのはお預けしたい。
なんにせよ、人生これで終わらせてたまるかという若くて痛いかもしれない心をまだ強く持っていたいと思う今日この頃である。
その他 off topicだが、書き足りないことについて書こうと思う。
社会人をやりながら修士課程をすることについて
修士号を取るために修士課程をしたい人にとってはオススメである。金銭面での安心感が違うし、卒業後の将来の不安に襲われながら生活を送ることがない。他の学生が多くの時間を費やしている就活もしなくていい。家庭の事情などがあったりする人には厳しいかもしれないが、正直少し頑張れば何とかなるタスク量ではあると思う。
しかしながら一流の研究を行いたい人にとってはオススメしない。特に、僕の分野であれば実装量が要求される。それはかなりな労働時間によってようやく成果が出るものであり、よっぽど研究に時間を割かない限りは、その労働時間を割けはしないと思う。
海外大学院出願について
これについては本当に多くの知識と失敗がある。
とにかく頼れるものは頼った方が良いと思う。自分は海外大学院に通っている先輩にCVやSOPを見てもらっていた。さらに、他分野の友達と相互添削を行っていた。助けてくださった人たちには、非常に非常に感謝している。
東大のネームバリュー、海外大学との単位数の違い、推薦状の文化、など、日本の大学に行ってしまったらもう仕方のないようなことなどでも、色々苦労した。この話もしだしたら本当にキリがない。
なんにせよ最も重要なことは、日本の評価基準から抜け出て、いかに海外の評価基準に合わせて合格を目指すか、だと思う。これをうまくできる人は、受かるような気がする。
大学院のメンタルヘルスについて
これに関しては、コロナのせいもあってか非常に深刻だと思う。実際自分もずっと大学院にいたら精神をどうにかせずに済んだ自信はあまりない。東大の学生相談所はかなり優秀だという噂なので、ぜひ少しでも違和感を感じたら使って欲しい。自分も作業効率が落ちてしまった時に一度相談に乗ってもらった。予約も簡単に取れたし、かなり良いアドバイスをたくさんいただいた。
東大での6年間について
オリ合宿から始まった東大生活は今月をもって終わるらしい。6年という年月があまりにも長すぎて、自分が東大関係者ではなくなることにとてつもなく違和感を感じる。
この6年間で受けた教育全てに不満がないと言ったら嘘になるが、総じてとても素晴らしいものだったと思う。また、受けた教育だけでなく、東大でできた友人関係もとても刺激的で素晴らしいものだった。「若さ」がある貴重な時間を東大で過ごしたわけだが、トータル悪くなかったなと思えてよかった。むしろ充実した良い6年間だった。
じゃあな、東大。6年間お世話になりました。