帰省

今見ると随分と長い間筆をとっていなかった。でもこれを見るまでは、この事実に気づいていなかった。長い間なのに、長い間だったとは思わないくらい、時間がとんでもないスピードで過ぎていっている。

ゴールデンウィークの前半は石垣島で自然とふれあっていた。石垣の地は、3年ぶり。島のなんとも言えない雰囲気がとても好きで、また足を踏み入れることとなった。

控えめに言って最高だった。最高の人と最高の時間を過ごした。楽しかった。本当にこういう瞬間のために生きていると言っても過言ではない。

後半は石垣から関西に飛んだ。関西では、友達やパートナーと会ったり落ち着いた時間を過ごした。

友達というと、小学校の塾が一緒、その後中高の同期となって、いまだに会う仲のパターンなんかもある。去年の年末の高校の部活の同窓会でも小学校時代からの仲の人がいて同じようなことを感じたが、あんなに小さかった俺らがこんなに大きくなったのかぁと感慨深いものがある。そして、あと10年くらいしたら、自分らにも子供ができているかもしれない、なんならその子供たちが自分らが出会った年齢になっているかもしれない、と思うとなんとも言えない気持ちになる。

梅田やなんばの方に行くとたくさんの思い出の場所がある。中学の忘年会ここでしたなぁとか、ここで帰り道だべったなぁとか。よく親がなんばを歩きながら自分に、「ここの店は高校の時よく行った」みたいな話を聞かせてきたが、自分も子供ができたら言いそうだなと思ったりした。

今回の帰省では地元の散歩を2回くらいした。地元を散歩するのは楽しい。個人的に散歩が好きなこともあって、たまにやっている。

地元の友達はもう12年以上会っていない人が大多数だ。12年以上会っていない人の「あの人は結婚してどこどこに行った。」「あの人は就職してどこどこに行った」みたいな話を噂で聞く程度。それによると、結構な数の人が地元を離れていて、散歩中にばったり会うということもいつしか想定しなくなった。

今回の散歩の一番の驚きは、仲の良かった友達の家が売り物件になっていたことだ。その人が何をしているのかは一切知らない。当時の記憶に思いを馳せつつ、時の流れを感じた。もう一生会うことはないと思うが、元気に過ごしているといいなぁと思う。

そういえば、親も同じ地元出身で、親も授業参観や最寄り駅で地元の友人とばったり会って挨拶を交わしたりしていた記憶が少しある。小学校時代は、なんでもっといっぱい喋らないんだろうと思っていたが、今は少し親の気持ちがわかる気がする。

地元の駅は工事をしていて、自分が東京に住むようになってから随分と変わった。これからさらに変わるらしい。東京に行くことが決まって、行くか、と覚悟を決めた時に見たあのホームからの光景は、もう脳裏にしかない。自分はあの時の自分に誇れる自分だろうか。

覚悟を決めた頃に想定していた人生とは全然違った形の人生を歩むことになったが、東京に行ったことは今のところ後悔していない。少なくとももう少しは東京にいるはずだと思う。これから先もあの時の選択を後悔せぬよう、頑張っていきたいと思った。

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