研究に困っている話

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最近の研究事情で非常に困っているので言語化したい.恥を忍んで書くので,これに目を留めた誰かはアドバイスをして欲しい.切実に.

非常に散文的に言語化する未来が見えるので最初にまとめておくと,今自分が抱えている問題は,解くべき研究課題を見つけれていないという問題で,でもその課題を決める決め方がわからないという話である.以下は色々考えたりしたことを書く.

現状

修士課程もそろそろ一年が経とうとしているが,テーマが決まっていない.どれくらいの粒度で決まっていないかというと,「深層学習をソフトウェアとハードウェアの両方の観点をうまく使って速くしたいなくらいな」くらいのモチベでしか決まっていない.これはどれくらい決まっていないかというと,「進振り前の教養学部の学生が進んだ先の研究室を見てこういうことしたいなぁ」くらいのレベルである.学部生にテーマを与える研究室であれば,たぶんその研究室の学部生の1日目の方が進んでいる.一年経って修士のテーマを探しているという話をすると他分野の人的には”あり得ない”という感想を抱かれそうである.同じ学科の人たちであれば,ちょっと遅いなくらいの印象で終わりそうな気がするが,やっぱり焦りは感じる.

別に何もしていなかったわけではない.学会やインターンなど,色々とあって修士の研究テーマをきちんと考え始めたのは10月くらいからな訳であるが,テーマをただぼーっと探して何もしていなかったわけではない.毎週ちゃんとmtgに出て,考えたことなどの進捗も発表したし,勧められた論文はなるべく読んだし,論文も割と読んだとは思う.テーマを考えることにも時間を使った記憶があるし使っている.

自分なりに思っていること・捨てようと思った二つのこだわり

現状自分が思っている,自分の問題点は以下の二つである.

一つ目,自分が研究において,目標と同じだけアプローチも大事にしてしまう人間であること.色々と見つめ直す中で,ふと,自分は物事が研究の粒度になると,研究の目標(達成される事柄)よりもその目標に対して1ステップ進めるアプローチのところに面白さを感じていたのだと思った.深層学習は速くなった方が良いという問題設定にはひどく共感するがその粒度だと研究はできなくて,研究をするためにそれよりもfine-grainedな問題設定になった途端,自分はAというアプローチはやりたいと思うけれども,Bというアプローチはやりたくないと思ったりする.だからこそ,自分が好むアプローチで解決できる研究課題を探そうとしてしまう.こんな思考だとそりゃ色々な研究課題を見てしまうわなと思う.

二つ目,世の中の役に立つgeneralな研究をしようとし過ぎていること.卒論とは違って修士ではもっとgeneralで世の中の役に立つような研究がしたいなという思いがあった.でも,そのような研究はred oceanで,自分のように時間的制約がある人や,共同研究者リソースがたくさんない人にとっては非常に厳しい.

色々あったねぇという話

本当につらつら文章を書きます.

「深層学習をソフトウェアとハードウェアの両方の観点をうまく使って速くしたいなくらいな」より具体的に落とし込めていた時期は結構あった.「あるネットワーク構造のこの部分に着目すれば…」,「学習においてこのような特徴を活かせば…」のように.これはテーマが与えられる研究室の学部生の1ヶ月終わったあたりレベルで決まっている(と思う).ただ,少しアプローチを始めた途端,あまり良い結果が出なそうな気がしたり(実際ぱっと行った実験では出なかった),本質的な研究ができていないなと思ったりして,まだ時間はあると思って他のテーマに気移りした.

論文を読めば進捗,そう思っていた時期もあった.最初のうちは,論文を読めば読むほど新しいことが多くて面白かったし,こういうアプローチがあるのかと感動したりした.さらに,そのアプローチを覚えておけば,自分の研究テーマがもっと具体的になった時に使えるだろうと信じて,モチベーションがあった.

最近は違う.割と論文のやり方には飽き飽きしている.もうトップ会議で自分の興味のありそうな論文で読んでないものもなくなってきたし,過去のものを漁っても大体引用されてたりして,概要を知っていることが多い.少し離れた分野に飛ぶと興味が減り,自分の研究テーマが決まっていないのにこれを読むことに使う時間はないと思って読むのをやめてしまう.かと言って次のトップ会議は春先で,それを待っているともう修士課程のtime limitが来てしまう.

先輩に相談したこともあった.先輩はいとも簡単に研究テーマを決めていて,それが好きだからだと言っていた.先輩は先輩なりにやりたいことをやろうとするだけでそれが研究課題になる.とても羨ましかった.その先輩と話していて感じたことだが,興味の幅の大きさは人格のようなものに近く,その人格が研究に適していたか否かがその先輩との違いとして大きそうだと感じた.

友人に相談した時は,「世の中にこういうのがあれば良いと思うを作るみたいなのはないの?」と言われたことがある.自分の中であった方が良いと思うものはあるのだが,それは社会の中に存在していないものというだけであって,それを作成したところで社会への貢献は大きいかもしれないものの,アカデミックな研究としての貢献はゼロというのが悲しいところなのである.自分の考えたり読んだりしている研究で出る新規性なんてものは,社会から見ればあまりにも細部で,社会の役に立つツールを作る途中過程の一工夫でしか生まれないものであると思った.その友人をはじめとしてもっと大きな視野を持っている人だったら,「世の中のためになるものを作るのと同時にそれそのものがアカデミアにおける新規性になる」みたいなことを作れるのだろうなぁと思うが,僕は今それができるほどのあったら良いなを思いついていない.分野の問題というのもあるかもしれない.自分がパッと思いつくそのような研究はあるが,研究として評価されている部分はそのtoolではなくて,そのtoolの中の工夫だなぁと思う.

また,これはよく指導教員から言われる話なのであるが,コンピュータのハードウェアは,使ってもらうことが大事なのであって使ってもらえないものの研究はあまりよろしくない.そう思い始めてしまうと本当にいよいよやることがなくなる.研究テーマを決める一つの方法として,スコープを狭めるということがあると思うのだが,スコープを狭めてしまうと,より使われないものになってしまう.かと言って,深層学習を速くする手法は,ここ数年のhot topicであったが故に,非常に狩られ尽くされている.でもあまりここの線は外したくないという気持ちがある.

最近

思っていることをとりあえず書いたら少しすっきりした気がしなくもないが.

半年間悩んで,後一年で卒業するために研究をきちんとした形にしないといけないというのもあり,研究の世界だけで完結しそうなことをやるのを許そうと,研究に用いるアプローチにこだわらないようにしようと思った.でも自分のあまりやりたくないことで自分が役に立つと思わないことをやるのは辛く,結果的に研究が手につきづらくなった.

今日の進捗は,机に座って考え事をしていただけだった.焦りもあるし,上の妥協点についてこんなんで良いんだろうかと思い始め,あまり手がつかなくなってしまった.

あーあ,何をすれば良いんですかね…??

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