東大卒業

(オンラインの)卒業式を経て,やっと”東大卒”になった.

卒業式を体験できなかったのも相まって実感はいまいちわかないが,どうやら自分は日本一の大学の理学部をストレートで卒業できたらしい.

入学した当時は”東大卒”という三文字に価値を感じる人間ではなかった.しかし,この4年間は人並み,いや人並み以上には真摯に学問や自分自身と向き合い成長できた自負はあり,自分に与えられた”東大卒”という称号にはとても大きな価値を感じている.

人によって感じ方は違うと思うが,卒業は入学の50000倍くらい嬉しい.(数字に根拠は特にない)

というわけで,備忘録もかね,4年間をざっと振り返りながら文章を書こうと思う.最後には今後の展望も少し書こうと思っている.時系列順に書くつもりであるし,長くなりそうであるので,適当に最後だけ見ることも可能である.

僕は綺麗な景色を見ることが大好きなので,その時に見た綺麗な景色でも載せながら過去を振り返りたいと思う.

入学前

東大に合格した.受かった時はよかったと安心したが,正直あまり大きな達成感はなかった.とにかく大好きな大阪を離れるのが嫌で嫌で仕方なかった.大阪にいる友達と気軽に会えなくなるのもかなり辛かった.合格が決まってからは二週間程度で住むところを決めたり家具を買ったりととても忙しかったが,そんな中,テニス部のみんなで行った淡路島テニス生活は最高だった.

1S

4月は新歓などがありとても楽しかったのだが,大学がどんなところで何をするかもわかっていなかった僕はすぐさま迷走した.セレクションを潜り抜けてテニスサークルに入った.そのほかのサークルや部活も色々見たが,結局入らなかった.

高校の時は,部活に真剣だった.僕の高校の部活動は,限られた(本当に限られた)練習環境だったので,高校生という幼い自分にも真摯に取り組むことができた.何かに真剣に取り組むこと,その経験をもう一度,今度はフルリソースでやりたかった.そして,自分が世界に対して誇れるような結果を残したかった.

結局,僕は4月という短時間で打ち込めるものは見つけられなかった.ただ,世界に対して誇れるという要素を考えた時に,部活動やサークルは最適解ではなかったことだけは確かだった.そして,同時に,真摯に取り組めるものが見つかるまでは,多方向にアンテナを貼りつつ,自分の強みである学問に真摯に取り組んで可能性を開いていこうと思った.

結果として,学業の成績はクラスでトップレベルだった(と思う).

生活面に関しては,全てがとても刺激的だった.東大生や東京で出会う人は素敵な人が多かった.サークルにはほとんど行っていなかったものの,竹馬会という名のイベントを友達数人で企画して,人生の目標がある人たちに刺激を受けたりした.キャリア大学など,イベントごとはとりあえず行ってみて色んな人に話を聞いた.

刺激的であると同時に色々な種類のギャップにも苦しんでいた記憶がある.まぁ小さいことなのでだいたい忘れてしまったが,言語の壁(標準語の圧力)はもちろんのこと,SNSの使い方やコミュニケーションの取り方の違いを始めとする文化の違いにも少しだけ悩んだ記憶が若干ある.

あと,高校の同級生の一人が東大からUC Berkeleyに行った.高校の時はお互い(お互いかはわからないが)競った仲だったので悔しかった.差ができてしまったが,彼に追いつけるよう頑張りたいなぁと思ったし,思う.

入学式の写真.桜がとても綺麗だった.この後マクドと焼肉とカラオケに行った.東京のカラオケが高すぎてビビった.

1A

この辺りから,多方面に広がっていたアンテナが,収束してくる.

1Aは授業に幅が出始めて色んな授業をとることが段々と出来るようになる.社会に関する授業や進化論,心理学を学んで楽しかった.心理学については,とても分厚い英語の本を買って読んだりしていた.

ischoolというイノベーション教育の授業を受けた.ハマった.創造性を生み出す人間の思考回路だったり,グループでの意思決定だったり,とても面白いと思った.

プログラミングと出会ったのもこの時期である.学問の能力はなかなか目に見えないが,エンジニアリング能力は,プロダクトとして目に見える形となる.そこが魅力的だった.

同じクラスの友達から紹介してもらったHAITという団体を通じて,人工知能と呼ばれる領域とも出会った.機械が知能を獲得するというキャッチーすぎる宣伝文句につられてハマってしまった.

このあたりで進み始めた方向性は今の進路や研究テーマにもつながっている.

生活面では遊ぶということに慣れてきた.高校の友達と大学の友達を交えて鍋パをしたり,同じクラスの人とVR施設に遊びに行ったりと楽しかった.一人で旅行をしたりすることもあったし,大学で友人とゆっくり日向ぼっこをすることもあった.

写真は都庁展望台.ここは都会の夜景を見ることができるかなり大好きなスポットである.たまに行きたいと思う(だが一人で行くのは恥ずかしいし,わざわざ誘ってまでして行くものでもないのであまり行かない).

2S

授業を複数受けて,進振り点が決まり,医学部以外なら大体どこでもいけるだろうという点数になった.これは選択肢がたくさんあるというありがたいことであったのだが,同時に僕は進路にかなり迷ってしまった.その点,専門性に向けたスタートダッシュが少し遅れてしまった感じはあるのだが,ただ,この時に散々迷い抜いて行った選択は,その後の自分の迷いを完全に取り除き,accelerateしてくれたのは間違いない.

後輩各位は思う存分迷うと良いと思う.

僕は迷いの末,理学部情報科学科(理情)という場所を選択した.

その他は,webサイトを作ってみたり,iOSアプリを作ってみたり,前学期に受けたischoolのTAとしてワークショップを運営したり,PRMLという本の輪読会を行ったり,サイバーセキュリティ関係の外部講座に出てみたり……と様々な活動に参加した.

この時期は本もたくさん読んだ.時間のあるうちにいろんな本と出会えたのは本当によかった.

生活面では,北海道やら江ノ島やら色々行った.北海道でたまたま会って一緒に小樽を旅した人間が今や研究室同期なのは不思議なご縁である.

写真は江ノ島の夕焼け.綺麗.

そういえば,この頃は非言語の表現みたいなものにも興味を持っていて,芸術を鑑賞したりもしていたな.

2A

理情に入った.コンピュータのことを学び始めた.わからないことだらけだった.わからないことがわからないということを何度も経験し,その度にGoogle大先生に頼っていた.

僕の年の理情は進振り点の高い人間が集まる場所だった.医学部を除けば一番最低点が高かったとか高くなかったとか(あまり知らない).それなのにも関わらず,僕は正直なめていた部分があった.この時は少し尖って調子に乗っていた部分もあったので.そのような態度もあってか,成績が少し下がった.悲しかった.

今思うとこの頃の自分の実力や努力というのは本当に生温いものであったと思う.

所属は教養学部のままであったため,理学部以外の授業も受けていた.特に,立場の心理学という授業は印象的で,人種,ジェンダー,地域格差などの社会問題についてdiscussionする授業を,教養学部の最後に履修できたことは本当に良い機会だった.自分の認識の甘さを痛感した.これはこの授業に限った話ではないが,僕の純粋な疑問について真摯に対話をしてくれる友人や先生が一定数いる環境があって,これは東大に入ってとてもよかったと思える点の一つである.

生活面について,この頃は人生のイベントが多かった.20になってお酒が飲めるようになり,成人式も経験した.

これまでの接客や塾講師のバイトではなく,技術的なバイトもするようになった.バイトの時間を自己成長に当てれるようになり,ステップアップができたように感じた.

引っ越しをして東京駅が近くなった.地元の駅の駅舎を作った人と同じ人が作ったらしい.なんとなく雰囲気が似ていて少しだけ地元を感じられる.かなりお気に入りスポットである.

3S

地獄のように忙しかった.僕の学科はブラック学科であった.5月以降,課題が積まれていなかった時期はなかったような記憶があるし,課題を全てこなした人間はいなかったように思う.(必須・発展課題を全て行った人はいた気がするが,演習用の問題まで全て解いた人間はいなかったと記憶している).他所のブラック学科と違うことはこの点であると思う.

地下という名の学生控室を通して,学科の同期とも非常に仲が良くなった.仲が良くなって,相手のことを知っていくうちに,周りが自分の思っていたよりとてつもなくすごいということがわかった.

授業では周りの人間の理解力の高さに驚かされたし,演習では周りの理解して何かを作る or 解くスピードに驚かされた.これまででは,この手の頭を使うようなinput,output作業であまり人に負けたことがなかったが,完全に負ける経験をした.驚いた.日本は意外と広い.

同時に,自分よりも努力をできる人にも出会った.自分が頑張っていると思っていたものはまだまだ全然だったのだと痛感した.時間を割いているだけで頑張っているつもりだった.

僕はこの期間,みんなと協力して課題を倒す中で友人たちから色々なことを教えてもらった.情報科学に関することはもちろんたくさん教えてもらったし,学習に対する態度,物事の捉え方や伝え方のような基本的なことも,観察を通して教えてもらった.学科同期たちには感謝しかない.

この期間で自分の皮が一枚剥けた気がした.

頑張ったかいがあってか成績は元どおりになった.というか,むしろ1,2年生の頃より良くなった.

夏休みには,8月9月と,とても大きな企業さん2社にインターンに行った.周りは修士課程の人ばかりだったため,実力の差を感じたが,学部生なりに頑張ったし,貴重な体験ができた.このほかにもバイト先で英語講義のTAをやったり,国際学会に論文を投げてみたりと色々チャレンジした.今考えればもっとできたやろと思うが,rejectされた時は悲しかった.

そういえば,夏休みは謎に学科同期と英単語覚えたりしていた.懐かしいな.

学科同期とも親しくなり,東北一周ドライブをした.これは松島.

これは花火大会.

3A

学業について,3Sほどは忙しくなかった.だが,他の学科の話を聞いていると,異常なほど忙しい部類なんだなと思う.

人間とは怖いもので,3Sの時にあんなにびっくりした環境にも慣れてしまった.段々と3Sの時にただ単にすごいと思っていた人たちとの距離が大体わかるようになったのも成長だった.距離がわかることで自分に足りていないもの・自分がその人たちに勝てるものが段々とわかるようになった.これまで漠然と抱えていた焦燥感・敗北感がなくなり,自分に自信がついた.

3Aは3Sほど,うまく動けなかった.僕にはまだ積み残されているコンピュータサイエンスの常識を積んでいく必要性があったし,とりあえず成績をキープしつつinputに徹した.なぜかわからないけど,数値計算の授業が楽しかった.この辺りから,漠然と複雑なプログラムを速く動かすことに興味があるかもしれないと思うようになった.

学科の授業以外にも,ちょっとしたコツコツ系の努力をした.タイピング速度を上げたり,英語力を上げてTOEFLを受けたり.懐かしい.

自然言語処理の本をみんなで輪読とかもしたなぁ.

そういえばこの頃にセメスター期間の途中にお腹が痛くて歩けなくなるくらいに過労になったことがあった.精神的・肉体的疲労が溜まっていたのだと思うが,休むことって大事だなぁと感じた.

春休みに受けたTOEFLが終わったら全てがオンラインになった.

西表島.海が綺麗すぎた.また行きたい.

いつの日かの帰り道.本郷キャンパスは建物一つ一つがとても美しい.本郷しか勝たん.

4S

あるウイルスによって世界が変わった.何もかもの見通しが立たず,フルリモートの授業だった.演習3という授業を受けた.このリンクにhttps://yoshi-12.info/?p=341何をしていたかは詳しく書いているが,ざっというと深層学習の高速化を中心に扱っていた.1,2年生の時に興味のあった人工知能に対して,4年生となった自分もまだ興味があった.それを3年生でつけた専門的な力でどう立ち向かうかと考えた時,研究の方向性はある程度定まった.そして社会に対する自分のモチベーションとも合致していた.

院試を受けて東大の大学院に合格した.人気の分野なので合格できるか不安だったが,無事合格できてよかった.院試勉強はこれまでの知識をおさらいできて良い機会だったと思う.

これ以外の点でいうと,4Sは人との出会いに恵まれていたように思う.

同じ目標を共有する友達ができたり,ある人との出会いがきっかけで自分の人生に対する考え方がとても変わったりした.全然関係のない人が人生に対してヒントをくれたりすることがある.僕は人生を通して出会いや巡り合わせにとても恵まれている方だと思うが,4Sは特に恵まれていたなぁと思う.

すっかり人が消えてしまったキャンパス

4A

卒論.これに尽きる.とっても忙しかった.

普通の学科なら1年かけて卒論を書くものを,4ヶ月で書かせてくるのだから,大変なのは当然である.ちなみに僕は,最初の1ヶ月でテーマを変えたので実質3ヶ月だった…

深層学習の高速化をテーマに,書ききった.詳しくは国際会議に投稿する予定なので,acceptされ次第アナウンスしたいと思っている.acceptされるように頑張って書かないと..!

理学部には学業と研究が優秀であった人に渡される賞が存在する.

理情に入ってからの成績はあんまり負ける気がしないし,卒論もできる限り切り詰めて頑張っていたので,賞が欲しいという気持ちがあったが,もらえなかった.悲しかった.大学を通して学業だけは頑張った自信があっただけに,それが何かしらの形で認められなかったことは,正直結構凹んだ.負けたなぁという気持ちになった.

悔しかった.

これ以外にも資格を取って応用情報技術者になったり,卒論と並行で,情報技術の社会応用という漠然とした興味からDigital Business Modelについて学んでそれに関する論文を出して発表したりした.まだ副業的な感じとして足を踏み入れ始めたばかりなので,あまりあれだが.

あと,NQCという団体で量子技術について人材育成されたり,経産省のサイバーセキュリティに関するイベントにグループファシリテータとして参加したり.気の向くままにいろいろやっている.

いい空.

最後に・これから

1年生の最初は,何かに真摯に取り組みたかった.僕は結局学問に真摯に取り組んだ4年間だった.1年生の初期の頃は部活動やら起業やらを真剣にやっている人たちがうらやましかった.僕もそういう道を歩んだ方が良かったのではないか,そうした方が学べることが多く人生も有意義になったのではないかとも考えたりしていた.しかし,自分の進みたい道が大方に決まってからは,自分に自信が出て,全くそうは思わなくなった.彼らには彼らのやりたいことがあって,僕は彼らと違う目標に進んでいるということが誇りを持って言えるようになった.

4年間の学問に関する成長は指数関数的であった.これは様々な原因があるが,学問に関わらないgeneralなスキルの向上によるものも大きいし.知らないものを知って知れる量が増えるという良いループに入れた(入れる能力がついた)ことも大きい.そして,スキルアップに応じて適切な機会を享受できる環境にあったことも大きい.これからも指数関数的な自己成長をしていきたいと思っている.

また,内面的な成長も著しくあった.いろんな人と関わること,いろんな物事を学ぶことを通じて,高校生の自分の見えていた世界や持っていた価値観は,小さな世界で形成されたとても小さなものだったのだと痛感した.当時は自分なりに大人だと思ってたんだけどな…過去の文章を見ると恥ずかしい.これ以外にも色々思う成長はあるが,文章に残すのは面倒なので,また飲みにいった時にでも語りたい.

これから先はどうなるのかわからないが展望(野望)はある.直近の計画ではあと最低数年は研究を頑張ろうと思っている.学問という自分の武器を使って,できるだけ若いうちに海外まで自分の行動範囲を広げたいと思っている.それが叶わないなら,海外でも通用するような何かを作っておきたいと思っている.振り返ると,軸を作りたいという軸は入学当初から一切ブレていないし,海外への思いも変わっていないなと感じた.

その目標があらかた達成してからは(達成しなくても),そのまま続けて研究をするのか,事業を始めるのか,会社に属すのか,全然違うことをし始めるのかはわからないが,自分がやるべきこと・自分がやりたいことをやっていて欲しい.

最後になってしまったが,東大にて4年間思う存分学ぶことができたのはもちろん自分のみの力では全くない.金銭的補助をしてくれた人たち,困ったときに助けてくれた人たち,自信を失ったときに僕をたてて背中を押してくれた人たち.その人たちがいなければ,僕はおそらく道半ばで挫折をしていただろう.ほんの少しの一言が僕の力になったことも多々あった.力をくれた全員に感謝の気持ちでいっぱいである.東大で4年間学んだことは,僕がこれから学問の道に進んだのならもちろんのこと,それ以外の道に進んだとしても僕を支えてくれるものであるだろう.いつか何かしらの形で恩返しができれば良いなと思っている.

Knowledge is power.

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